ミニマリストという選択、ブームについての見解。

作詞家 阿閉真琴 オフィシャルウエブサイト

ぼくの暮らしにはテレビがない。

正確に言うなら、携帯電話で見ることができるけれど、

その画面を見ることはほとんどない。

だから知らなかったけれど、今若い人々の間でミニマリストがブームだという。

ぼくがもうリュックひとつになりたいと話しているとそう教えられた。

そうか。

ぼくがミニマリストであろうと決めたのは、

ベトナムに生まれた僧侶ティクナットハンのマインドフルネスという思想に影響を受けて、テーラワーダ方面のブッダに関する書籍を次々に読んで、ブッダが何度も説いてきた、家を捨てよという考え方から。

もちろんぼくは両親を見守りたい。だから、出家はまだまだしないけれど、身軽でいたいと思った。

コロナが広まるにつれてその思いは確信になっていった。

おしゃれミニマリストか方丈記ミニマリストか。

YouTubeでミニマリストを検索すると、皆、すごくおしゃれ。

ものは持たないけれど、ひとつひとつのものにこだわりがある。

ぼくが目指すのは方丈記のような暮らしだから、何かが少し違うかもと思うことが少なくない。

ぼくが目指すようなミニマリストはYouTubeにはあまりいない。

日々の暮らしを少しずつ整えている。

作詞家としてデビューしたての頃「大市民」という漫画があって、そういう暮らしに憧れていた。普通なら豪華な家を建ててみたいなところに夢を見るのだろうけれど、

売れっ子作家が畳敷きの小さなアパートで自由気ままに暮らすというその暮らしにとても憧れた。

今のぼくはもう売れっ子なんてことはなくて、何もかもに申し訳ないような気持ちで暮らしているような日々なのだけれど、だからこそ、あの漫画の中のような暮らしがいいと思っている。

与えられているものだけで十分。

空に太陽があり、部屋に屋根がある。

最近は布団を寝袋に変えてさらに空間が増えて、今日もまた朝からせっせと整理をしていた。

部屋の中の様相と脳内がリンクしているというのは真の話だろう。

ああ、あそこにはあれがあると、あああれはあの場所にあると、

全てがシンプルな部屋でどんな悩みが存在できるのだろう。

疑いも恐れも怒りも全部捨ててしまえばいい。

部屋にものが多いということは脳内に感情が溢れているということだ。

ものの数だけ情念はある。

ぼくたちは若いころはこの体は全てが自分だなんて思いながら生きてしまうけれど、

この心は全てが自分だなんて思ってしまうけれど、

単体で存在できるものがこの世界のどこにあるのだろうか。

何かから始まったぼくらであり、僕らから始まった世界であるこの見える聞こえる全ては、

いつだってつながりあっている。

影響されるという性質を持つ生命は、与えられた場所を整えることで、正しさの光を見入ることができる。

元々がいい加減で、口ほどでもないぼくだから、それでも整えたいならシンプルな解決策は物を減らすこと。

1000個もある様々なアイテムをカテゴリーに分けるのはなかなか大変だしセンスと丁寧さが問われるけれど、5個しかない何かを整えて置いておくくらいならぼくにもできる。

だから暮らしはシンプルがいい。

気づかずに生きてきた人生の多くの時間を、どうすればああこれで良かったんだと言えるんだろうね。

せめて、あたりまえなんてないのだと、全てに感謝して生きていきたい。

誰もが重い含みあるような挨拶しかしないような世の中になっても、ぼくは元気に笑顔で挨拶をしよう。

何も持たなければ疑いも恐れも怒りもこの手には持たないで暮らせるだろう。

何もない自分にどうしてそんな心が生まれるような必要があるだろう。

正しいも悪も決めているのは組織だ。

何もない一人は自由だ。


ミニマリズム

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サンテクジュペリは「完璧とは、これ以上加えられないときではなく、これ以上削りとれないときに達成されるようだ」という言葉を残した。

コロナが始まった2020年春あたりから、このままではいられないと思い始め、住処を変えるべく小さなアパートへと引っ越した。

築31年ほどで、川の横に建つ小さなアパート。

リュックひとつになりたいと思った。

いつ人生の最後が来ても、ああそうかと、その導きについて行けるように、

または消滅するとしても心清々しくあれるように、

それにはあまりにも手に抱えているものが多すぎるのだと気づいてしまった。

今は仕事部屋兼住居のこの部屋には神棚、ご先祖様の小さな祈りの台、仕事机と小さな収納。白い椅子。観葉植物。

それだけを配置して後は何もない。

1日必ず何かを捨てている。

ごめんなさい。ありがとう。とそのモノを手に入れた時の感情を思い出しながら手放している。

一年間そういうことを続けてきたぼくにちょっとした変化があった。

脳内がすっとすっきりとしてきたんだ。

今まで、何かに突き当たるとその複雑に見えてしまう問題に動けなくなるようなことが多かったのだけれど、今は、割とあらゆることが解決できるように思えてしまう。

現実としては日々、問題は複雑化しているだろうなかで、それに対する突破意欲はだんだんとシンプルになってきている。

つまりは起こりうることは仕方ないか、という覚悟。

ならばどうするかという静寂感。

ぼくはこの人生で一体何を手に入れたかったのだろう。

あなたがこの人生で手にしたいものは何ですか?

体験と言ってしまえばそれまでだけれど、

この溢れ有り余る情報の時代の中で、

世界はどこへと向かうのだろう。

森の中で暮らしたい。

せめて手に入れたいものとすれば、静寂で安穏な心。

責めたり欲張ったり、疑ったり怒ったり、

そういう風はあちらで吹いてほしい。

床を磨くたびに一ついいことがある気がしている。

それはきっと何か、

この世界ができた時に生まれたシンプルな法則の一つなのだろう。


自省録 マルクス・アウレーリウス著を読んで

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衝撃の本に出会ってしまった。

子供の頃から読書を好んできたぼくは、多読なつもりでいた。

それでもこの歳になってやっとこういう本にめぐりあえるのかという本だった。

自省録 マルクス・アウレーリウス

第16代ローマ皇帝が書き残した日記。

12巻からなる備忘録。

戦場地で書かれたものだという。

マルクス・アウレーリウスの統治時代は洪水、飢饉・ぺスト・天災、

各地の反乱、敵の侵入、部下の離反など、ローマ繁栄に陰りがで始めた時代。

そんな激しい時代の中で、なんとか解決策を見出そうと自問自答した皇帝の思想に満ちた一冊。

一種の哲学書でもある。

生きている人類の中で最も尊い魂を持つ人物として称された皇帝マルクスアウレーリウス。

食い入るように読まされた。

生きているうちに善きことをせよと訴える。

生きているうちに善き人間であれと諭してくれる。

あたかも1万年も生きるかのように行動するな。

不可避のものが君の上にかかっている。

生きているうちに、許されている間に、

善き人たれ。

人生は短いものなのだと、若い頃は気づかなかった。

あたりまえだ。そんなふうに思えていたなら

この世界はもっと違う色になっていただろう。

そして自分が誠実に謙遜に、

善意を持って生活しているのを

たとえ誰も信じてくれなくても、

誰にも腹を立てず、

人生の最終目的に向かって、

導く道を踏み外しもしない。

その目的に向かって純潔に、

平静に、何の執着もなく、

強いられもせずに、

自ら自己の運命に適合して、

歩んで行かなくてはならないのである。

これからの1日を歩むための力強い言葉に満ちている。

いかなる行動もでたらめに行うな。

技術の完璧を保証する法則に、

従わずには行うな。

この本を手にしてからぼくは、毎朝25分必ず読み進めている。

今はもうすぐで二巡目が終わる。

きっとぼくはこの本をクタクタになるまで何度でも何度でも読み続けることだろう。

マルクス・アウレーリウスは人々に恵まれていた。

それでも強く心の孤独を生きたのだろう。

責任と使命と情熱が魂に点火し続ける姿。

善き人であれ。

自分の過去を紐解けば、どの一瞬一瞬も愚かなことばかり。

心も行為も言葉も。

それでもまだここで息をしている。

ぼくは、あなたは、彼は、彼女は、世界は

まだもう少しだけ許されている。

この一日一日に、何をできるだろう。

心が曲がり、良からぬニュースに惹きつけられそうなとき、

平和であるためにはどう生きるべきか。

孤独(ひとりい)で構わない。

たとえ善きことをと思って動くその全てが間違いだったとしても、

優しい呼吸と慈しみを。

ピエロはピエロなりに、球に乗って虹をかけよう。

この小さなアパートで。


ホームページ&デザイン制作承ります。

作詞家 阿閉真琴 オフィシャルウエブサイト

2006年頃に、大きなパニック障がいがあって、故郷に戻った。

清掃業など、アルバイトに就いたりしながら、紆余曲折の中、

デザインの勉強をしていました。

今はもう、歌のお仕事はほとんどしていない日々。

たまに奇特なお誘いとしてご依頼があった場合に、

これなら書ける、書いてみたいという場合のみ、承ることがある…という日々です。

それでも今年に入り、機会があるなら書かせていただこうと

少しだけ、窓口を広げたりしています。

できることならば、もう大きなことには入り込まないでおこうと、

自然の摂理に合った活動であれば嬉しいなという気持ちでいます。


では、何を持って日々の暮らしをしているか。

今はデザインのお仕事をいただきながら暮らしています。

ホームページ、チラシ、パンフレット、名刺、動画、

あらゆるクリエイトを承っています。

ポートフォリオはこちらになります。

↓↓↓

https://makotoatozi.myportfolio.com

元来が創作者寄りというかクリエイター気取りというか、

現実離れというのか、お金に関するお話や計画、または戦略があまり得意ではなく、

だからもちろん余裕があった頃も投資など手を出さずにきて、

今は日々の支払いにキュウキュウ言っている日々。

あまり無理をした仕事の詰め込みもできず、

それでもお仕事がないと暮らしが成り行かなくなってしまうので、

ここでまた広告のようにブログでお仕事の募集というか受付を告知することにしました。

カフェ、雑貨店、各種お店、ジム、サロン、施設、アーティスト、

あらゆる業種のデザインを承ります。

もちろんお問い合わせは無料です。

価格は…。

他社の平均をご存じなら、すごく安価に感じられる…。

そう思います。

お知り合いなどでもぜひ、そのような方がいらっしゃいましたら、

お問い合わせいただけましたら嬉しく思います。

コロナでもう、世の中騒々しさは増すばかり。

人生がんばりましょう。

良い人生を!


SNSをやめて一年が経ち、今思うこと。

作詞家 阿閉真琴 オフィシャルウエブサイト

2020年の初頭あたりで、Facebook,インスタグラム,MIXI …

SNSアカウントを全て退会した。

元々、携帯電話はガラパゴス。

それゆえに、外出先では、SNSの確認ができないのだけれど、

PCを開くと、ついつい追いかけるようにコミュニティーの動きを見てしまう。

そんな垂れ流しのような時間がとても馬鹿馬鹿しく思えた。

時を同じくして、

住処もメゾネットからとても小さな築32年のアパートへと引っ越した。

車検を機に19年ほど乗った愛車も手放した。

ミニマリストというわけではないけれど、いくつかのものを手放した。

本当は持ち物をリュックひとつくらいにしたい。

支払わなければいけないものも多くあり、仕事は重要なため、

そんな風来坊な暮らしにもなれず、今の状態で落ち着いている。

理想は方丈記。

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SNSを退会して何が変わった。

不思議なくらいに人と会わないし、出会いの数もものすごく減った。

ほとんど新たな出会いがない…。

こもりきりの生活になった。ステイホーム。

生活をより整えたいという気持ちになった。

実際に日々のルーティーンが変わった。

ぼくは、もうずっと長い間、起きる時間がとても早い。

飲食店を経営しながらも新聞配達をしていた両親の影響か、

今も毎朝2時半には起床する。

そこから朝食を終えてウオーキングまで…

つまり朝7時ごろまで、

毎日毎日、同じことをしている。

祈り、セロリジュース、瞑想、床磨き、ブレインティー、

朝の日記(夜も書く)、読書、食事、ウオーキング。

セロリジュースとブレインティーは最近追加した。

以前はバターコーヒーだった。

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それならば仕事は好調なのかといえば、全くそんなことはなくて、

日々の支払いに追われ、金銭的には余裕が欲しいと願う日々。

では心は?と問われると、

実は今、自分自身の人生では、

一番、安定した心で日々を暮らせていると感じている。

決めつけるような考え方は手放した。

情報社会の中、

SNSによる意見の相違から崩れてしまっているような人間関係もあるという。

こちらにいい顔をすれば、あちらが睨みは、つらいだろう。

ねばならないを看板に生きてしまうと、

つらいことばかりの世の中になってしまう。

ぼくはバカボンのパパよろしく、「これでいいのだ」と生きていたい。

社会的に見れば、いてもいなくても、きっとどうでもいいような、ぼくなのだけれど…。

それでも、こんな風に生きて、少しでも平和を心に描き、

希望を伝えたいと心に確かめて生きる…

この一日一日を大切にしたい。

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買ったままで読みかけだったデールカーネギー著の「道は開ける」を読了した。

過去は過ぎ去った夢のごとし…未来は幻想。

今こそが、あの日に見ていた未来。

人生に望み過ぎてきた今までを、悔やむことはきっと簡単。

だから、白も黒もなく、決めつけることもなく、

思い込みも思い上がりも捨てて、これからを生きてみたい。

どうしようもない50代の男…。

きっとまだまだ何らかの使命があるから、

生かされてしまっているのでしょう。

「もうここで人生はもういい」と思ったことが何度もあった。

それでも今がある。

そんなバチ当たりな感情をのさばらせてきたから苦しみも多かった。

過去を憂えず、明日のことに浮かれず、

今この時の小鳥たちの鳴き声を、雨音の静けさを、

心臓の鳴りを、呼吸から導かれる身体があるという気づきを…

心を観るということを…。

今、ここの安らぎにとどめて、何かを積み重ねていこう。

SNS…ぼくは退会して正解でした。

世の中のこと、全くわからないような日々だけれど…。

こんな人間には、きっと、それくらいがちょうどいい。

あなたはどうだろう?

いい人生を!


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