Angels Message

作詞家 阿閉真琴 オフィシャルウエブサイト

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こんなふうに考えてみたらどうだろう。

この世界では、何も聞いていないのに

親切に何かを教えようと、伝えられる言葉がある。

たとえば家族から、たとえば友人から、

たとえば仕事関係の人々から、なんでもない通りすがりの人から、


こうするといいよ。

そうするとよくないよ。

または、遠回しで、ダブルミーニングのように、

関連妄想とはまた違う形で届くメッセージ。


それはもしかしたら本当に、

天使、またはこの世界が、

ぼくたちに、あなたに、

何かを伝えようとしているメッセージかもしれないと。


一人一人がこの地球につかわされたメッセンジャーなのだと。

助言も苦言も言うには勇気が必要。

誰だって嫌われたくなんてない。

好かれていたい。

それでも聞かせてくれる言葉がある。


「丁寧にしましょう」

「一瞬一瞬を大切に生きましょう」

「書くといいよ」

「そこへは近寄らないほうがいいよ」

「それはダメだ」

「あなたは間違っている」

「あなたは正しい」

右左左右善悪全てを超えて、

そうまでしてもぼくたちに届けようとされるメッセージ。


思い出はいつも笑顔。

排水溝へ流してしまった飲料は戻せない。

味わえるのはコップ一杯。

または作った分だけ。


それでもまだこんなにあると思える気持ち。

手元になくてもその味を覚えている幸福。

誰もがメッセンジャー。

たった一言が、人生を救うこともある。


なんという多くのメッセージに救われてきたのかと、

自分自身を振り返り、

今このブログを書いています。

人々はみんな本来は天使なのだと思うんです。

背中の羽は物質的に飛ぶというよりも

目をとじた時に浮かぶスクリーンを自由に行き交うための宝物。

こんな年齢になって遅まきだけれど

人生がんばりたいです。

もっともっと学びたい。

全ての尊い出会いにありがとうございます。


ビューティフルマインド

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2001年公開の伝記映画『ビューティフルマインド』を観た。

ノーベル経済学賞を受賞実在の天才数学者ジョン・ナッシュの半生を描く物語。

第74回アカデミー賞各賞。第59回ゴールデングローブ賞各賞を受賞した作品。

プリンストン大学院の数学科に入学したジョン・ナッシュは「この世の全てを支配する理論を見つけ出したい」と一人で研究に没頭する少々、いやかなりの変人として描かれている。

妄想か現実かわからないMITのウイラー研究所という国の軍事機関の一員となり、

愛する女性アリシアと結婚する。

初めてのデートはパーティへの参加なのだけれど、

そのときの二人で見上げた星空と、

そのときのジョン・ナッシュの行動がぎこちなくも美しい。

世俗にいながら、全てを悟ったような美を放つアリシアは、

彼の全てを受けとめようと、彼と寄り添う日々。

政府組織は敵国であるロシアの秘密暗号の解読を彼の任務とし、

それを放棄しようとしたジョン・ナッシュに上司のパーチャが離れてゆく。

それをきっかけにし徐々にジョン・ナッシュは統合失調症を発症し、

アリシアの、そしてジョン・ナッシュ自身も人生との向き合い闘いが始まる。

見えない敵。幻との闘い。

実話と映画にはかなりの相違があるらしく、

ジョン・ナッシュ アリシア夫妻には現実的にかなりの謎を残している。

映画では愛を描かれているが、実際には二人は離婚していたらしく、

この映画の公開の年に再婚している。

そして2015年に、二人共に乗っていた車の事故で亡くなっている。

何か抗えない運命の激流に揺さぶられてしまった数学科学者夫妻の人生。

その重みの深さを観た気がした。

人生の中、迫りくる波の大きさは人それぞれなのかもしれないが、

何かとても大切なことを教えてくれている映画なのだと、

事実関係を調べたりするとなおそう思う。

心に風邪を引くような引き金は誰もが持っている。

風邪で終わらないこともある。

だから「暖かくしなよ」と、「そんな薄着だと風邪ひくよ」予防策を講じることが、

この人生でのふれあいなのでしょう。

ジョン・ナッシュが研究したのは「ゲーム理論」という、

人生と経済に関する哲学なのだけれど、

現代の経済発展に多大なる影響を与えているという。

カーネギーの本にある言葉で言えば、

今という船に乗り、扉を閉め、水が漏れ入らいように、

過去を閉め出し、未来を閉め出し、

亡霊を閉め出し、今日という1日を区切りに生きられたなら、

きっとぼくらは、精神を攻撃してくる病にも勝てる。

そうだよなと、思いながら今ぼくはこのブログを書いているんです。

恐れは過ちから生じる。

過ちは煩悩から始まる。

自己防衛に似た承認欲求。

過去もなく未来もなく、

今を慎ましく、ありがたく、

昨日に比べたら今日は少し過ごしやすそうな天気のようだ。

梅雨の入り側ということで、気圧はちょっと変だけれど、

今日できることを精一杯。

向き合いたいと思います。


Limitless

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Limitless超加速学習 ジム・クウィック著を読んだ。

Google、ナイキ、GE。スペースX、ハーバード大学etc…

超一流企業&大学が導入ということで気になっていた書籍。

良書だった。

いわゆる脳の限界を突破させるための手順。

脳の可能性を生かした学習法。


ただし前半部分は少々、徐長気味。

こういう本に慣れている人が読んだとしたならきっとつまらないかもしれない。

自分を賢者だと思ってしまえば愚者。自分を愚者だと知れば、すなわち賢者。とブッダも言っている。

前半を読んで、この程度かと思わずに読み進められることをお勧めします。

この本の真骨頂は後半部分にこそある。

脳にいい食事。記憶方法。マインドセットを外し、

脳にあるバイアスを外すこと。

よくよくみれば当たり前のことばかりでありながら、

とても斬新な提示のようにぼくには思えました。


ナポレオンヒル、ザ・シークレット、引き寄せの法則。

どれも真実を含むけれど、これらの書籍には魔の観点を含む。

本書もその点はありながらも、選択肢は読者に委ねられている気がする。

愛情、成長、貢献、冒険。これらは著者が人生で大切にしていること。

魔界ではなく、人間的に成功に導きたいのであれば、それらは脳とハートの仕事。

だから脳を健全にして挑むことは大切なことだと思う。

この書籍の中で映画「LUCY ルーシー」に触れていた。

だからアマゾンプライムで観てみた。

レビューは賛否両論。

ルーシーの中でモーガンフリーマンが演じる神経科学学者ノーマン博士の言葉がある。

「そうだな…考えてみよう。生命の本質を。

最初の細胞が2つに割れる。

そもそもの始まりを。

ー生命の目的はただ一つー

学んだ知識を伝えることだ。

それ以上の目的はない。

だから君のその知識をどうすべきかと聞くなら、こう言おう。

伝えなさい」


人生の意味に迷うことが人生の本質であるならば、

その答えは、自分が人生で学んだことを「伝える」こと。

掃除の仕方でもいい。あなたの笑顔は素敵という言葉でもいい。

アク抜きの仕方でもいい。懺悔からくる羅針盤になればいい。

恐れないという姿を伝えることもいい。

「伝える」

それこそが人生の意味。

道を教えてあげるだけでもいいんだ。

そしてもちろん、愛情を感謝を伝えること。


そんな単純なことに導かれただけでも、

この本を読んだ価値はあった。

読み返すことで体と脳に染み込み、

最大限の効果を表す良書であると思います。


ちなみに脳に効くブレインフードとは。

  • アボカド
  • ブルーベリー
  • ブロッコリー
  • ハイカカオチョコレート
  • 緑の葉菜類
  • サーモン・イワシ・キャビア
  • ターメリック(ウコン)
  • くるみ

自分の能力を最大限にしたいというのは

ある意味では人類の愚かな煩悩でもある。

煩悩は炎であり、扱い方によっては結果は様々。

だからこそ伝えるという使命と、

伝えられたことに寄り添うという使命。

「聞く」ということ。

そして「音に惑わされない」ということ。

バイアスをかけないということ。

見たものは見ただけ。

聞いたことは聞いただけ。

それこそが裸の姿。

そこにしかけられた Lie(嘘)があれば、

それくらいは脳は見通す。

脳の中の ant(蟻)を駆除してクリアになろう。

不可能なんてない。

たった10%しか使っていない叡智。

人生で与えられている限界のバイアスを知り、

二つに分かれた両極が伝え合うことができたなら

きっとそれこそが運命の目的なのかもね。

人生の面白さを感じさせてもらえた本でした。


早朝のウオーキングで川辺を歩いた。

朝、7時から8時は龍の時間らしく、

この時間に歩くと龍が一緒に歩いてくれるという。

真偽のほどは抜きにして、そうだと面白いなということは、

面白さを優先しようと考えている。


梅雨はあまり好きな季節ではないのだけれど、

川辺に並ぶ緑たちを雨粒が濡らす匂い。

懐かしさを感じられるような

この季節の朝の匂いは好きだ。


デザインの世界に、

〜From Ever Follows Function〜

「形態は機能に従う」という考え方がある。

建築家ルイス・サリヴアンの金言。

美しさというものは機能の純粋さから立ち上がるものであるという思想。


例えば、あなたが神になれたとして、

一つの花をこの世界に生み出そうとしたとき、

このような花だと美しいとして外観から花を創り出すのか。

それとも、このような生態で、このような花言葉があり、このような内部構造があり、

このような色のエネルギーで、このような栄養素を放ち、このような仲間がいる花をと創り出すのか。

美しさの神はどちらに味方をするだろうか。


この世界に生きていると、

外観の美しさに惑わされることは多い。

本質をいつも感じていたい。

Tシャツだって、化繊よりはやはり綿がいい。

内面からの美しさ。自然体。

新技術の化繊がドライに乾くからといって、

本当の機能とは便利さのことではない。


ここ最近は、ずっと室内作業ばかりで

外に出るときは野菜を買いに行く時くらい。

アポイントなんてここ数日まるでない。

昔漫画で見たような、

鏡の奥に閉じ込められたストーリーのような日々。

だから掃除ばかりしている。

書類は重ねてしまうのではなく、

縦に置いて整えたほうがいいと知り、

ほとんどの紙もの資料を立てて整理。

うん、とても清々しく感じられる。


コロナさんよ、

あなたはどこを目指しているのか。

なんのために我々の世界に生まれてしまったのか。

その機能は美しいものなのか。

あらゆる生命には生きる権利があるというこの世界。

あまりにも本質を見失い、

美しさの定義がもはや

誰にも説明できかねるほどに複雑化してしまった世界。

ぼくは、ぼくの感じる美しさを、

もう一度見直してみたいなあと思うんです。

例えば思う気持ち。

それが美しさを創り出す。

例えば鍛える習慣。

それが美しさを創り出す。

内臓が綺麗なら肌も綺麗になる。

思いが言葉の美しさを導く。

習慣が綺麗ならきっと未来は希望に満ちてゆく。

信じてみてもいいでしょう?


マインドフルネス

美しい天空 イラスト 阿閉真琴

人生をあきらめそうになったことは何回もあった。

すべてが仕組まれたことのように感じてしまったり、

自分自身への懺悔から、もうこの人生をやめようと思ったこともあった。


現実を見ることはとても大切なことだ。

ならば何をもってして

ぼくらはそれを現実と呼ぶのだろう。

もしもこの世界。

現実が全てというならば、目に見えるものしかないのだとすれば、なぜ人々は冠婚葬祭のセレモニーを執り行うのか。


目の前にある現象を、これが現実だと言うのならば、あらゆることが人間を主体として考えてゆくのであれば、なぜ人々はこんなにも占い、宗教、風水に頼るのか。

「もっと着実に現実を見て」と言いながら、なぜ人々は神社仏閣へと向かうのか。


瞳をひらけば世界が見える。

瞳をとじたなら、

そこからは遥か広がる闇がある。

闇は闇としてよく見るならば、そこにまた光が現れる。

“心”が現れる。

真の心。

真心。


占いなんてもういいよ

不思議がスタンダード。

あるがままに


心を見ずに、ただ目的のために

生きてきてしまったのかもしれない。

便利さを追いかけすぎた。

ぼくは便利さを望みすぎたかな。


作詞家になった時、受け取った音源はカセットテープだったんだ。

部屋には、その時のカセットテープが今もある。

かなり貴重な資料だと思うのです。

あの頃、東京の事務所へご挨拶に伺う時、もちろんナビなんてない。

iphoneなんてまだまだ先のお話。

派出所でおまわりさんに尋ねて、地図を見せていただいて、勘のみでたどり着いた。

まるで昨日のことのようだ。


なんでもない田舎の少年が、ありえないような待遇境遇を与えられた。

気がつけばヒット曲を書いてしまっていた。

今となればもう、あれはなんだったのかと思うほどに、不思議な世界のシフト。


作詞家になってからの数年、ぼくは呼吸をしていたのだろうか。

それさえもよくわからない。

もっともっと若き日のぼくは、呼吸を大切にしていた。

目の前の人と呼吸を合わせる。

そうして、人間関係のバランスをとっていた。

元々がマイノリテイー。

どこかあぶれ者な空気感があった。

いつだって心の中で祈っていた。


祈りを忘れないように。

あなたの祈りを大切にしてほしい。

偉そうだけれど、

あとじにそんなことを言われたくない。

ごもっとも

だけれど、

あなたの祈りを大切にしてほしい。


自分自身の人生を最後の最後に救うのは祈り。

それは本当のことだと思います。

宗教なんてなんだっていい。

自分教でもいいから、

あなたの祈りを思い出してほしい。


祈りは叶えられる。

たとえ起きてくる現象が思った形と違っていたとしても、祈りはぼくたちの悲しみを癒してくれる。

祈る優しさが自分自身を包み込んでくれる。


“心”  の上に ”今”  と書いて “念” と呼ぶ。

良き念を心に。

世界は揺れ動いている。

もっともっとこれからも

不思議なことはあるでしょう。

矛盾で溢れることもあるでしょう。

だからこそ祈りを。

まっすぐな祈りを。

祈りはきっと、

風の色さえも変えてしまえるほどの

ぼくたちへの力ある贈りものなんだ。

この人生を歩むために

光として

杖として

羅針盤として

友として

祈りはある。

 


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